今回は、久保建英選手の父親の仕事や年齢、出身大学について調べました。
アメリカ・メキシコ・カナダの共同開催による2026年サッカーFIFAワールドカップを3年後に控え、アジア2次予選が開始されました。
11月16日に行われた日本対ミャンマー戦では5対0の快勝を収め、次回のシリア戦にも注目が集まっています。
前回のワールドカップで大活躍した三苫選手や伊藤選手、堂安選手など、たくさんの注目選手がいる中でも、やはり一番の注目選手は久保建英選手ではないでしょうか!
小学校4年生でスペインに渡り、名門バルセロナの下部組織カンテラで磨かれた技術は世界基準、今まさに世界が注目する日本人サッカー選手の一人にです。
そんな久保選手を育てたお父様に興味湧きませんか?
どのような経歴の持ち主なのでしょうか?
今回は久保建英選手の父親の仕事や、年齢、出身大学、ついて調査していきます。
久保建英の父親の仕事は?
久保選手のお父様は、久保健史(たけふみ)さんです。
大学卒業後、大手住宅メーカーの「ミサワホーム」の社員として働かれ、現在は執行役員として管理本部副本部長、HR戦略部長を務められています。
2020年1月には、ミサワホームの親会社であるプライムライフテクノロジー(株)に出向し、総務人事部長を務められていました。
順調に出世すれば取締役クラスになる可能性は間違ないでしょうね!
ミサワホームの執行役員となると、ある程度の生活水準は保証されています。
家族のスペインへの移住には、バルセロナFCから何らかの補助があったにせよ、日本に残り家族3人のスペイン生活を支えるには、経済的な余裕は必要ですよね。
どのような仕事をしてるの?
HR戦略部長ってなにをするの?
HR戦略室とは、企業の人事部門の一部門で、企業が良い社員を採用し、適切な場所に配置し、成長させるための戦略を考えたり、組織の成長を支援する部署となります。
具体的には、新しい人材を採用するための戦略や方法を考えたり、社員の教育や研修の計画を立てる。
社員の評価や労働条件の改善に取り組むなど多岐に渡る心材育成のぷろ集団からなる部門です。
そのため高度なコミュニケーションスキルや洞察力、公平性や正確性などが必要で、時代の変化に合わせた人事戦略をつくるには、企画力や創造性、専門知識も必要となってきます。
以前は、働き方改革推進室担当室長も兼務されていたらしく、まさに人材育成のプロ中のプロと呼べます。
久保選手の海外での活躍や年上にも物応じしない性格など、その強いメンタル力は人材育成のプロである健史さんの教育から生まれたものなのではないでしょうか!
年収は?
年収について調べたところ推定1000万円は超えています。
日本のサラリーマン平均年収が450万円弱ですが、健史さんの勤め先は天下のミサワホーム。
ミサワホームとなると、一般企業のサラリーマンの平均年収を超えていることは容易に想像できますよね。
しかも執行役員となるとその額は??
ミサワホームの平均年収を世代別に調べたところに、25~29歳の平均年収は493万円で、 30~34歳になると558万円。
さらに、35~39歳になると624万円で、40~45歳になると671万円、40~45歳になると709万円となります。
そして、50~54歳になると747万円、55~59歳になると739万円となります。
ミサワホームの役職別の平均年収も調べてみました。
係長の平均年収は879万円、 課長の平均年収は1149万円、 部長の平均年収は1386万円。
ミサワホームの平均年収は、業界内でもトップクラスであることが分かりました。
ちなみに久保選手の年俸はというと、200万ユーロ!
日本円にして、その額なんと2.8億円です!
平均的なサラリーマンの年収をかんがえると、健史さんの年収はすごいですが、やはり一流プロスポーツ選手にもなると一般人の想像をはるかに超えるものとなります。
しかし、久保選手が2.8億円の年俸をあげることができたのも、健史さんのサポートがあってのことですよね。
久保建英の父親の年齢は?
久保健史(たけふみ)さんは、1971年生まれの現在で現在51~52歳です。
サッカー日本代表監督の森安監督と、ほぼ同世代ですね。
この世代は、まさにバリバリのスポ根世代!
厳しい上下関係や練習中の水分禁止、監督や先輩からの理不尽な鉄拳制裁が許された時代です。
今では、スポ根に賛否はありますが時代を共にした2人なので、健史さんと森安監督にも選手の教育方針や育成方針には、少なからず共通した考えや理解があるのではないでしょうか!
久保建英の父親の出身大学は?
久保健史(たけふみ)さんは、筑波大学出身です。
筑波大学といえば、スポーツ分野に目が行きがちですが、多くの有名芸能人やアナウンサー、政治家やノーベル賞受賞者までも輩出している、文武にたけた大学です。
最近では、落合陽一さんが教授を務められていることでも有名ですよね!
筑波大学は、創造的な知性と豊かな人間性を備えた人材を育成することに力を入れ、IMAGINE THE FUTURE(イメージザヒューチャー)をかかげており、未来を創造し、自由に活動できる校風があります。
その証拠に、自分の学部以外の授業も受けることができ、それが卒業単位にまで含まれるとのこと。
健史さんが、現在の役職や地位を築くことができたのも、筑波大学での4年間が大きく関わっていることは、いうまでもありません。
サッカー部?
筑波大学在学中は、体育専門学部に在学しサッカー部に所属されていました。
筑波大学サッカー部といえば、プロを目指し全国各地から世代の名プレーヤが集まるサッカー名門大学です。
現在、久保選手と日本代表でチームメイトの三苫薫選手や、ワールドカップで日本初ゴールを挙げたゴン中山こと、中山選手など数多くの有名プロサッカー選手を輩出しているところからも筑波大学サッカー部のレベルの高さは想像できますよね!
そんな名門の筑波大学サッカー部で健史さんは、1軍~5軍あるカテゴリーの4軍の選手だったようです。
久保選手の活躍を見ると少し物足りないようにも感じますが、そこは全国の各世代で名をはせたプレーヤが集まる名門大学ゆえの結果です。
日本代表を数多く輩出しているレベルの高いサッカー部で、4軍といえども4年間プレーされていたのですから並みの選手のレベルではないのは、あきらかですよね!
また在学当時は、子供たちへのサッカーの指導もしていたようです。
当時から人材の育成に興味があったのではないでしょうか?
この時の経験が今の職業に生かされていることや、名プレーヤー久保建英選手を生むことになったのはいうまでもありません。
名選手や名プレーヤを生むのは血統ではなく、努力や教育、指導環境のほうが重要であるという証明になっています。
まとめ
久保建英選手の父親の名前は、久保健史さんで年齢は51~52歳。
ミサワホームの人事執行役員で人材育成のプロで、推定年収は1000万を超える。
出身大学は筑波大学の体育学部で、ご自身もサッカー部に所属されていた。
ということが分かりました。
健史さんの経験と情熱が仕事を通じ、次世代の人材を育てるために重要な役割を果たしていることはいうまでもありません。
家族だけではなく若者全員に対して、大きな期待を抱いていることでしょう!!
個人的な意見になりますが、お孫様の誕生を楽しみにしています。
久保選手と同様なサポートをすることにより、世界を揺るがすスーパースターが、また一人日本から誕生することを期待しています。
以上、今回は久保建英の父親の仕事や年齢、出身大学を調査していきました。